2011年09月06日

25年ぶりにニュージーランドへ行ってきます





9月10日のラグビーワールドカップ、日本対フランス戦の応援に行く。

最後にNZに行ったのは、メルボルンで永住権を模索していた時。一旦、海外に出ないとならないので、オークランドに1週間行った。これが、3度目のNZだった。

その頃はアジア人は少なかったが、今は留学生でごった返しているらしい。当時は、食文化が貧しくて閉口したもんだが、今は様変わりのようだ。期待度が大きい。

帰りの飛行機は9・11、あれから10年の記念日だ。無事に帰って来られるよう願っている。  

Posted by タコ社長 at 10:43Comments(2)

2011年09月04日

ジュディーと過ごした群馬県赤城山






「大沼に行って、ボートに乗らない?」ジュディーを誘った。群馬県赤城山のキャンプ場での裏方ボランティアの仕事が終わった。翌日は山を降りることになっている。 1973年8月の1カ月間、当時メンバーだったプロテスタント教会が持っていたキャンプ場で働いていた。冬はスキー、スケートができるほど寒い所だが、夏は避暑地として快い気候の素敵なキャンプ場だった。
 東京の教会のオルガニストをしていたのが、近くのアメリカンスクールで看護婦をしていたジュディーだった。その性格からまるで天使のような人、と言われていた優しくて魅力的な人だった。でも、私にとっては雲の上のまたその上の人だった。アイルランド系アメリカ人、反共主義者でニクソン大統領支持者、私より4歳年上の25歳だった。一緒に働いていても、一緒に山登りしても、キャンプ場の屋根に布団干しをしていても、少し話すだけで胸が痛くなるだけで全く先がない。
「来年、アメリカに来ない?」大沼でボートに乗りながらジュディーがいった。飛行機は豊島園のヒコーキ止まりだったし、東村山の家のローンに苦しんでいる両親のことを思うと、経済的にも絶対にできそうにない話だった。ジュディーはこのキャンプのすぐ後、2年間の日本の滞在を終えてアメリカに帰ることになっていた。「神様のみこころだったら、きっと実現するわ。シカゴで会えることを楽しみにしてるわ。絶対にアメリカで逢いたいわ。」
 キャンプ場に帰ると、翌日私と一緒に帰る山本先輩が、360ccのスズキの緑色の車を点検したいた。そのカーラジオからスティービー・ワンダーの「You are the sunshine of my life」がタイミング良く流れていた。
♪ You are the sunshine of my life
That's why I'll always be around
You are the apple of my eye
Forever you'll stay in my heart  ♪
 その年の11月末、教会会員のピーターソンさんに呼ばれた。「タコ、来年の6月に家族で3カ月アメリカに里帰りすることになったよ。できたらタコも一緒に来ないかい。飛行機代は来月初めまでに払えば往復11万7千円でいいんだ。そして3カ月の滞在費は5万円でいい。私たちが面倒をみるから。是非、一緒に行こうよ。」オイルショックの年のこと、これはどんなにしてもないくらいの破格の金額だった。こうして、生まれて初めての海外旅行が翌年の1974年6月4日にスタートすることになった。ロサンゼルスに1泊した後すぐにシカゴに行くことを知った。

こんな伏線があって、すったもんだしてオーストラリアに辿りついた。


タコのツイッター   
Twitterボタン
Twitterブログパーツ

  

Posted by タコ社長 at 21:43Comments(6)

2011年09月01日

ニッポンの妻たち




初めてのゴルフは、山梨県の山間コース、アップダウンが激しくてとんでもないコースでの筆下しとなった。いまでは、ノミの体に象の心臓で、心臓が歩いてるなんて言われて久しいが、あの頃は逆だった。この日、緊張がゴルフシューズを履いて手袋しているような感じだった。そして、自慢じゃないが1日に18個の ボールを無くした新記録を打ち立てた。ゴルフを知らない方は分からないだろうが、これは世界に誇れる金字塔。下手で後ろがつかえるので、探す時間が十分に 与えられなかったということを考慮してもすごい。

「タコ君、商品を全部家に忘れてしまったよ。」何年かしたあるコンペで同僚の細川さんが 真っ赤な顔でそういった。細川さんはその時の幹事で、あわてて奥さんに電話して持ってきてもらうことになったとのこと。片道、車で3時間。奥さんは商品を持って届けてくれた。日本の奥さんは素晴らしいと感心した。それと同時に、ゴルフも仕事の内と嫌というほど知らされた。

何年か前に、この細川さんとお会いすることがあった。私は、オーストラリアから一時帰国していた。
「タコ君、いろいろあってね、別れちゃったよ。」あの奥さんと離婚されていたのだ。あの時、素敵な笑顔を絶やさず商品を持って来られた奥さんの顔が過ぎった。

「日本がこれだけ発展成長している本当の理由をご存じかな?」
80年代の初め、年頭の挨拶でY専務が話始めた。私がサラリーマンとして9年間勤めていた会社の専務だった方だ。これからバブル経済にのめり込んでいく前だったが、その勢いはもう始まっていた頃の話だ。

「それはね、日本の妻たちなんですよ。夫を理解して、夫を支えやっている妻たちの力なんですよ。」
はー、うまいことを言うもんだな、と思った。私は独身だったので夜中まで飲んで帰っても、文句をいうのは近所の犬くらいでよかったが、妻帯者の方々も残業の後一緒に飲んだくれていた。こういうことを陰で支えているのが、「ニッポンの妻たち」なんだと思ったもんだ。

しかし、この細川さんの一件があってから、「ニッポンの妻たち」も実はギリギリのところでやっているんだなと思わされた。当然といえば当然だろうが。

細川さん、今は25歳も年下の中国人の方と 結婚され中国に住んでいて幸せにやっておられる。還暦を過ぎているが、小学校に上がる子供さんがいるという。今は、「中国の妻たち」とかの範疇に入られているのだろうか。いずれにしても、仕事をしていくうえでの、妻、夫、彼女、不倫相手などのサポートと理解は不可欠。

中国ではゴルフ人口が増えているという。細川さん、今もゴルフをされているのだろうか。

  

Posted by タコ社長 at 16:36Comments(2)