2010年10月13日

一糸まとわぬマリリン・モンローを、、、、、






海外営業部に所属していたサラリーマン時代、担当はインドとパプアニューギニアだった。どうして、アメリカと、美人の多いことで知られているポーランドとかじゃいのだろう、と文句の一つもいいたいところだったが、仕事も覚束ない新米社員の頃で口答えできない。もっとも自分の行きたい所には行かせないのが会社。因みに、元相撲取りのような体格で決められた、と噂さもされていた。

仕事はそこそこ面白かったのだが、あるときインドの大プロジェクトで直属の部長と課長の板ばさみになり、課長が死ぬの生きるのといっているような状態のなか、仕事に冷めていってしまった。「脱サラして、オーストラリアで日本語教師になろう。」と自分で自分に辞表を出し、ついでに辞令も出した。これからは自分の人生の進路は自分で決めようと格好よく言ったりしていたが、実のところは会社の組織から脱落した負け犬の遠吠えだったのだろう。やり直し人生をオーストラリアに賭けた。

まず、体の悪い所を直そうと考えた。命には別状ないがあっても邪魔なものは、前も後ろもきれいにさようならした。脱サラして規則的な生活をし出したら、体重が10キロ減った。飲んでから最後にラーメン、餃子なんかが定番だったサラリーマン時代。それが終わっただけで痩せた。これには驚いた。

それにしても、ビザがないと観光には行けても住めない。日本語教師だけでは弱い。何か、日本人ならではの技術を、俄か作りで習得しようとした。「そうだ、指圧をやってみよう。」熱しやすいことは天下一品、特に異性に関しては、池の鯉にでも恋してしまう性格。決めたら即実行。

子どものとき、シャネルの5番だけのマリリン・モンローを隈なく指圧しまくったという伝説の指圧師がいた。彼女は、私の金髪憧れの元祖原点の方だ。因みに、秋田生まれの母とモンローは同じ年、彼女が生きていれば今年84歳か。母の場合は、シャネルとかじゃなく桃の花とかもっと身近なものだったような気がするが。この伝説の指圧師、浪越徳治郎さんが立川の朝日カルチャーセンターで家庭指圧教室をやられていたので、失業保険を取りに行くついでに資料をもらい即断で入会した。

こうして、いろいろ準備して1985年6月にオーストラリア入りした。贅肉も無くなったが金も無く、あるのはどデカイ夢だけの33歳。結局、永住権は指圧でも日本語でも取れず、すったもんだのあげく、日本食レストランのマネージャーとして奇跡的に取得できた。

ところで、移住して間もない頃、指圧をやろうかと新聞に広告を出したことがある。「ジャパニーズ指圧」として出した。何と、その日だけで93件の問い合わせがあった。しかも、全員男。その日の終わりには電話を取るのも嫌になった。同じ金髪でも、プロレスラーのような白人男への指圧は大変だ。どうやら、日本人女性がやるちょっといかがわしいマッサージを期待して多くの人が連絡してきたようだった。そんな期待をされた方々には申し訳なかったが、結局指圧は諦めた。師匠の浪越さんにあやかることができずに、自分にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。



Posted by タコ社長 at 12:23│Comments(2)
この記事へのコメント
タイトルに引き寄せられた私はおっさんでしょうか?w

私もマッサージには興味あります。
人を元気にさせられる仕事っていうのはいいですよね。
体が元気であれば長く続けられるというのも魅力です。
自分に技術をつけるとしたら、そういうことをやってみたいです。

私も永住権を取りたいと思う時がくるのでしょうか。
Posted by 小梅koume小梅koume at 2010年10月13日 13:18
済みません、ちょっと過激で。

日本語教師をしていたときは、こんなに素晴らしい仕事はないと思っていました。人に何かを教え、喜ばれ、その結果を見られ、そして生活できる。

指圧もそうですね。親指が硬過ぎて途中で断念しました。

私は、こちらに来る前に永住権を取る、と決めていました。(勝手に)
Posted by タコ社長 at 2010年10月14日 09:04
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